ドイツに行ったときの事。
教会のすみの席に座って、キリスト教者の真似事のようにうつむき、手を組んで、それなりに家族の健康や自分の仕事について願っているうちに、願うという行為から、それを何故願っているのかと考え込むことが何度かあった。
自分は日本にいても、あまり神社仏閣の内に入ったり、そこで考え込んだりといった事はしない性質だ。
だのにドイツでは、教会という建物がよそ者の異教徒にも不信心者にも開放されていると言うこともあるけれど、その中に入り、席に着いて落ち着くことが出来る。
話す相手もいないし、邪魔をするよけいな刺激もない。だからそうして考える時間があると、願っていた事を反芻することができる。
この願いは本当に、自分が追い求めるべきものなのだろうか。
その願いを叶えるための行動を自分は積み重ねているだろうか。
ただ心の中で誰かを思うだけでなく、きちんと気持ちを伝えているだろうか。
愛情をあらわしているだろうか。
傷つけてはいないだろうか。
心配をかけてはいないだろうか。
そうした事を一つひとつ考える時間がある。
そうした時間が、とても貴重なものに思える